おはようございます。
私にできるかな…が、私にもできる!!に変わる
「未来を切り拓くビジネス英語」パーソナルコーチ Hiromiです。
週末なので、先週の「超えられなかった…ガラスの天井」の続きをお話しますね。
教訓
海外業務担当の私が、当然行くべきと思っていた欧州出張を逃してしまった苦い思い出。
このまま終わりたくなかったので
何が悪かったのか、自分を振り返ってみた。
悪いとは是非を指すのでなく、私のどこが甘かったのかである。
海外出張に同行可能という自己アピールと、私自身をそう動かす意志の強さではないか?
マネジメント陣の間に残る、女性は一般職という固定観念を払拭するには
出張に行く準備はできていると、普段からゆっくりと刷り込んでおくべきと考えたのです。
同じ轍を踏まないために
そうは言っても、頭の固いおじさまばかりなので、少々作戦を練りました。
男の沽券に関わることなので、適度にヨイショしながら
彼らに判断を求める振りをして、他に選択肢がないように事を運んだのです。
出張の準備段階から、抜かりなく。
蝶のように舞い、蜂のように刺す そんな感じです。
怖いですか? でもね、このくらい賢く立ち回らないと
欲しいものを手にする機会がなかったのですよ、あの頃は。
2度と同じ後悔をしたくなかったのです。
Frequent Flyer
初めての海外出張は、10日間の日程で
フランクフルト・ハイデルベルク・ブルノ(チェコ第2の都市)へ。
緊張して、プレゼンは下手くそだし、発音なんて気にかけてる余裕もなくて。
反省点の多い、初出張でしたので
帰国してからは、仕事を終えてから勉強して、次に備えて。
そうこうするうちに、会社としても、私自身も、お客様に信頼していただくようになって
気がつけば、海外出張は年間60泊を超えるまでになっていました。
アジアから欧州、北米までを一人で担当していたので
”コンビニ” というニックネームまで、海外のお客様から付けていただきました。
管理職へ
多くの海外出張を繰り返しながら
開発チームは一丸となって、自社のcapabilityとflexibilityとcreativityを売り込んだ結果
新規開発品の売上は、いつしか全社売上の15%に達していました。
自動車部品の材料開発から、お客様への提案、製品化して、生産を立ち上げる (=商品化)。
このプロセスは、どんなに早くても3年はかかるものですが
それでも数多くの製品を商品化して、利益を生み出せたことは
忙しくて、眠くて、苦しくて、それなのにこの上なく楽しい時間でした。
その結果、開発リーダーの技術部長をはじめとして
チーム全員が昇給と昇進を叶えたのでした。
それが、初の女性管理職として、私の道を切り拓いた瞬間でした。
No one knows what the future holds.
これで成功を勝ち取ったと思うでしょう?
それが、違うのです。人生はそんなに甘くない! 落とし穴だらけです。
周りからは、成功して、このまま順調に進んでいくと思われていたし
チーム全員がそう信じてた。
成功したが故の、大企業によくある悲劇が起きたのでした。
今日はこのあたりで。
また来週お会いしましょう。
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